結崎ひよのセリフ集 - 小説第三巻『エリアス・ザウエルの人喰いピアノ』
◆『エリアス・ザウエルの人喰いピアノ』第一章「起こったかもしれないこと」
「いいですか、鳴海さん。何気ない日常の中にも怪奇とロマンと冒険のきっかけはちゃんとあるんですよ?」
「いいですか、鳴海さん。自動販売機で飲み物ひとつ買うにしてもそこには怪奇とロマンと冒険の選択肢が並べられているんです。
なのにちっとも迷わずホットでロイヤルなミルクティーなんて無難なものを買おうとするとは何事ですか!」
「真面目に聞いてください! そうやって日頃から無難で保守的な選択をしてるから、怪奇とロマンと冒険に縁がないんです。
月臣学園の名探偵とも称されながらちっともそれらしい事件に出会わないのもきっとそういうところに原因があるんです!」
「それでも鳴海さんに名探偵という役柄が与えられているのは間違いないんです!
なのに不死の殺人鬼が徘徊する孤島の連続殺人に巻き込まれるでもないし、呪いの人形や宝石にまつわる怪事件を解決するでもないし、
亡霊の住まう館で起こる血塗られた一族の殺人に関わるでもないし、吹雪に閉じこめられた山荘に跳梁跋扈する怪人や魑魅魍魎と戦うでもないしで、
地味で現実的なつまらない事件ばかり解決して、それでも名探偵ですか!」
「そんなポスト見たことありませんよっ。なのにどうしろっていうんですか」
「でもこの世には科学や理屈では説明できない神秘や怪奇がいくつもありますよ?
テレビとか見ないんですか? 幽霊、亡霊、心霊現象、泊まった人が必ず死ぬ部屋とか発掘にかかわった人が次々怪死を遂げる古代遺跡とか」
「まーた怪奇もロマンも冒険もない意見ですねっ。夢がありませんっ! そんなだから活躍の場が限られるんです!」
「それです! 自動販売機のホットミルクティーの味なんてどれも似たようなものですし、簡単に味が想像できます! そこには怪奇もロマンも冒険もありません!
ここはひとつ、およそ味も販売意図も想像できないデンジャーなのを買うべきです! 例えばこれ!」
「つめたーい飲み物はけっこう種類がありますが、あったかーい飲み物は案外種類がありません。
コーヒー、紅茶、緑茶に烏龍茶、コーンスープやおしるこなんてのもありますが、だいたい味が想像できますし、メーカーによる違いも大きくありません。
そんな中にこれです!」
「ちゃんこ風味とはいったいどういう味でしょうか?
その上『さばおり』という名前も好奇心をあおります。腰が折れるほどのおいしさなんでしょうかね?
味が想像できそうでできないこの飲み物にこそ、怪奇とロマンと冒険の分かれ道があるはずです!」
「行間を読めばきっと飲んでるんです。さぁ、買いましょう、飲みましょう、勇気を出してレツゴーッ!」
「ああっ、せっかく人が親切で正しい道を教えてあげているというのにっ」
「仕方ありません。こうなったら私が怪奇とロマンと冒険の道を選んでチキンな鳴海さんを引っ張って行くことにしましょう」
「お味の方はどうです、鳴海さん? きっと無難でつまらない味ですよね?」
「今から飲むところです。あとから少しだけ飲ませて、って頼んできてもあげませんからね?」
「えーと、いきなりさばおりをかけられたような味です」
「私だってありませんよ!」
「鳴海さんの自意識過剰による気のせいですよ。それよりこれ飲んでみません?」
「じゃあ鳴海さんのミルクティーを少し飲ませてください」
「そんな他人行儀なことを今さら言わないでください。私と鳴海さんは同じコップで水を飲んだ仲じゃないですか」
「どなたです、あの人? あの帽子に制服、聖ラファエル女学園高等部のものでしたよ。
まーた私の知らないところで女の子にちょっかい出してたんですか?」
「ユズモリ? 柚森って、あの柚森ですか?」
「はー、ふみおさんですか。で、その違う世界のふみおさんをどういう風にいてこましたんです?」
「そのわりには『鳴海くんっ』なんて親しげでしたね?」
「ほんとうにピアノ教室だけの関係なんですか、『鳴海くんっ』さん?」
「一年くら前というと、柚森の女怪と呼ばれた大奥様が亡くなられた頃ですか?」
「じかに会ってるって、あの柚森の女怪、柚森の妖婆と呼ばれ、亡くなった時には政財界から弔問客が押し掛け、
あの世界に名だたる小日向グループの総裁までやってきたという柚森家の大奥様、柚森珠喜さんですよ!」
「鳴海さん、恐ろしい人と面識あるんですねー。
柚森家を最も憎んでいながら最も柚森家を守った女性と言われ、
六年前に柚森の御当主さんが事故で亡くなった時、珠喜の大奥様が積年の恨みから殺したって噂が関係者だけでなく一族でもおおっぴらに語られたほどの人ですよ。
それでいて誰も罪を問えなかった妖怪みたいな人です」
「で、一年くらい前に柚森の家で何したんです、鳴海さん?」
「それも大奥様が亡くなるひと月前って、かなりきわどい時期ですよ?
大奥様の死因は肺炎ってことになってますけど、
あの妖婆がそれくらいで死ぬはずがない、実は一族の名誉のために本当の死因は伏せられたんじゃないかとも言われてます。
その上柚森本家のお嬢様といい仲になるなんて普通じゃありませんね?」
「じゃあ実際のところ何をしたんです?」
「はい?」
「ひ、人喰いピアノ?」
「むー、そこに中学生の名探偵、鳴海歩さんの登場ですか。いいです、いいですよ!
こてこてのガジェットが揃って、これは伝統的な探偵小説の展開ですねっ!」
「そう主張する鳴海さんの認識も偏ってるかと思いますが。
それはともかく、その話、詳しく教えてください。そんな怪奇でロマンな冒険譚を黙ってるなんてひどいじゃないですか」
「相変わらずケチくさいですね。なら替わりにひと口しか飲んでないこの『さばおり』をあげますから」
「こ、これを飲み干せなんて、なんてひどいことを言うんですか! 鳴海さんは悪魔ですか!」
「そんな悟ってるようで実は引きこもりがちな教えには乗りませんっ。
そんなことより人喰いピアノの話です! とにかく話してください!」
「わかりました。調べてみせようじゃないですか。困った情報まで掘り出されて後悔しても知りませんよ?」
「ははー、ではふみおさんと出会ったのは後悔してないんですか?」
「なんですか、人を害虫みたいにっ」
◆『エリアス・ザウエルの人喰いピアノ』第二章「起こったらしいこと」
セリフなし
◆『エリアス・ザウエルの人喰いピアノ』第三章「ほんとうに起こったこと」
「鳴海さん! ようやくインタビューがまとまりましたよ!」
「決まってます。柚森史緒さんへのインタビューですよ。
ちゃーんと聞き出してきましたよ、『エリアス・ザウエルの人喰いピアノ』からお嬢様を救ったナイトの物語! いやいや、感動しました!」
「それでですね、鳴海さん」
「そ・れ・で・ですねぇー、鳴海さん」
「鳴海さんが史緒さんを助けたのは事実みたいですけど、問題は『エリアス・ザウエルの人喰いピアノ』です。あれ、どこまで本当なんです?」
「どうと言いますとですね―――」
「ありますよ! 私の調べでは、ピアノメーカーであるベヒシュタイン社が開設されたのは一八五五年のことですよ?」
「ですよね。なのに『エリアス・ザウエルの人喰いピアノ』が地中海から引き上げられたのはベートーヴェンが死んだ一八二七年、
ベヒシュタイン社が開設される二十八年も前にそのピアノが地中海に沈んでるわけありません!」
「だからおかしいって言ってるんじゃありませんかっ」
「どこにです?」
「あの、鳴海さん。言いたいことはわかるんですけどね」
「いえ、そのですね、それを言っちゃおしまいじゃありません?
ほら、探偵小説の怪奇とロマンと冒険がしょっぱなからなくなっちゃうっていうか」
「し、知るかって、それが名探偵の言うことですか!
探偵小説の登場人物は必ずそれらしくふるまって、そうでないふりをして読者をバカにしてはいけないと決まってるんですよ!」
「えーと、聞いた覚えがあります」
「なら史緒さんの話はどういうことになるんです?」
「何ってですね、いったいどういうことなんです?
ピアノの話が全部でっち上げだとすると、どこでどう間違えば史緒さんの経験したことが本当になるんですか?」
「えーと、それは遠回しに史緒さんのことを『バカ』と言ってるんですね?」
「でも『バカ』を意味してるじゃないですか。さっき信じるのはバカって言ったじゃないですか」
「それは遠回しに私が育ちが悪いと言ってるんですか?」
「失礼ですね。私が手放しで信じるのは他人事で聞いて楽しめる場合に関してだけです。それ以外はちゃんと疑ってかかりますよ」
「ちょっと待ってください。柚森の大奥様のピアノの話が全部ウソだとするとおかしいことがでてきますよ」
「そうです。史緒さんは屋敷の音楽室に向かう時から不吉な気配に怯え、
ピアノを見た瞬間、天板に首を挟まれるイメージをはっきり頭に浮かべたと言ってました。
『エリアス・ザウエルの人喰いピアノ』の話を聞く前にそんなイメージを持つのはおかしいです。
それとも大奥様は史緒さんが天板を下ろすよう頼んだのを聞いて、即興で因縁話を作り出したんですか?」
「―――ええ、私もそれが一番引っかかるんですが。年齢もありますし、たまたまボケが来ていたという解釈もありますが」
「お茶、苦いですね」
「またまじめな顔してくだらないこと考えてません?」
「うーん、これはこれで冒険だった気がしますが」
「また偏った意見ですね。いちがいにそうとは言えないですよ」
「何だかもの悲しいですね」
「わ、ちょっと待ってください! 私まだお茶飲み終わってないんですよ!」
「知るか、って、まだお茶熱いんですよ! 飲みにくいんですよ!」
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